一の章  始まりへの終焉
 (お侍 extra)
 



     
蛍屋にて



 四方周辺のどこにも緑や水脈とは縁のなさそうな、荒野のただ中にポツンと現れる佇まいからして、普通の集落の有り様とは一線を画している街ではあった。というのが、そもそもの発祥からして今時風であったから。少しずつ人が集まって大きくなったという経緯は特に変わっちゃあいない。ただ、その“集まった”中心となったものというのが、オアシスや瑞々しい緑、耕地に適した肥沃な土壌なんかではなくて。先の大戦にて墜落した、本丸級の大戦艦の残骸へ、通りすがりの難民もどきな人々が住み着いたことから始まったとされており。大陸の各地に点在する他の集落と、丁度バランスのいい中間地点にあったことから徐々に流通の要所となり、人や物の行き来の多き処では必ず商売も栄えるという例に適って、此処もまた一気に隆盛を見ての肥大を続け。当地での繁栄を自力で盛り立て、自力で大きく肥えた街の差配は、その底力に着目されて“都”の大商人たちに並ぶ地位をも得ていた。

  ――― その街の名を、虹雅渓、という。

 居住区はろくに整備もされぬまま出鱈目に拡張してゆき、金のある者ほど空に近い上層部へと屋敷を構え、食うや食わずな貧しき身であればあるほど、下層部に放置された旧の居住区の穴蔵を塒(ねぐら)としていたものだった。唯一の例外が、最下層部に広がっていた“癒しの里”と呼ばれる一角で。領主様も差配も関係なしの、ここだけは治外法権。身分を問うは野暮なこととし、浮世のしがらみや屈託を忘れ、楽しい夜を過ごしましょうぞというお店の居並ぶ、平たく言えば歓楽街で。とはいえ、ここは貧しい者には縁のない場所。身分は問わぬが懐ろ具合はやはり物を言い、分限様や金満家らが大枚はたいて夜を買う。昼間のような明るさの中、粋と酔狂に彩られし馬鹿騒ぎをする賑わいが、本当の朝を迎える頃合いまで鳴り響く、正に“不夜城”だったりし。さすがに、しらじらとした朝ぼらけの仄明るさが里へと満ちる頃合いを迎えれば。金持ちへおもねる幇間の嬌声や女たちの脂粉の香、ご陽気な三味線の音色が、恥じ入ってか消えゆくのと入れ替わり、夢の国のように綺羅びやかだった拵えも、化粧の剥げた女たちのように底の浅い華美さを明かされながら、欠伸混じりにやっとの眠りを迎えて寝静まる。




 遊郭や置き屋が居並ぶ大通りからは裏手にあたる場末には、こんな場所とは思えない、淀まぬ清水の流れる掘り割りが続いており。地下水脈の伏流が、かつての本丸の墜落で抉られた此処で表へ出、川のようになっているのだとか。そんな堀に添って植えられた柳もすっかりと芽吹いて、今や春も盛り。少し前までは柔らかな若緑だったものが、今は段々とその色みを深め、威勢を増した枝々が、そりゃあ涼しげに川面に揺れるそんな中。

  ――― いちじく、にんじん、サンショにしいたけ、

 ちょっぴり舌っ足らずな幼くもか細いお声が、とんとん・てんてんと毬をつく音とからんで聞こえてくる。癒しのお里の遅い朝。毬をつきしは、まだまだお口も回らぬだろう、ほんに小さな幼女であり。その傍らで手鞠唄を歌って差し上げているのは、こちらもまだ前髪を降ろしたまんまな年若な少女…という二人の子供。もう既に陽も昇っており、結構な時刻になるものの、ここは宵を過ぎてこそ華やぎを見せる場所。そんなせいでの今はまだ、怠惰な空気が間延びして流れてゆく中にあり。どっちにしたって少々不似合いなお唄や光景ではあったけれど、時折 つき手の手元の乱れへと振り回されてか、調子が外れるお唄の拙さが何とも愛らしく。お使い途中の通りすがりか、置き屋の若い衆などが、くすすと微笑みながら見てござる。

  ――― ごぼう、むかご、なつめに…あっ。

 とうとうその手から外れたらしき小さな手鞠。平らなところをころころと転がってゆくのを、待って待ってと追った、幼い少女の視野の中。五色七彩、鮮やかな色糸を六角や幾何学模様に刺した手鞠を、足元近くで受け止めてくださった白い手が見えた。以前にお召しのものに比べれば沈んだ色調ながら、それでも濃紅色の長い上着には、膝上から裾までという深い切れ込みが入っており。今彼がそうしているように片膝立てて屈み込むと、下履きの黒を添わせた長い御々脚のそのお膝が外へとはみだす、何とも大胆なお洋服。

 『色味が少しは地味になっただけで、
  それじゃあ、あんまり変わらないじゃあありませんか。』

 これを仕立てたそのときに居合わせて、苦笑混じりにそんな言いようをした男の面影、瞳の色に一番貰ったらしい小さな幼女。ぽかんとしたその次には、ふわりと笑って。

 「キュウゾちゃまっ、カンベちゃまっ。」

 舌っ足らずなお声がヒタキの鳴き声のように弾けるのが、何とも愛らしい。どうぞと差し出された毬をやりすごし、屈んでおいでで低くなった懐ろ目がけ、ぴょいと無防備に飛び込む小さな温みへ、
「…。」
 相変わらずに言葉知らずであるがため。何ともご挨拶はないままに、それでも片腕だけで優しく掻い込んで差し上げる手つきの、何と優美なことだろか。少し冷たい玲瓏さをたたえし、金髪美貌の若い衆と、彼が取りこぼした手鞠をあらためて拾って差し上げた、褪めた深色の蓬髪を相変わらずに長く伸ばした、それは重厚な存在感に満ちた初老間近い男衆と。そんな来訪者たちを眼前にし、
「あ…。」
 反応が少々遅れてしまった、傍付きの娘。それでも…彼女にも重々見知った相手であったから、遅ればせながらの笑顔を満面に浮かべると。浮き立つ気持ちそのままに覚束無くなる足元を叱咤しながら、お二人へのお辞儀もそこそこ、くるりと踵を返して見せて。膝下までという短い着物の裾を蹴りはだけもってと、そりゃあ慌てた様相のままにて、お勝手の大戸が半分だけ開いた店へと駆け込んでゆく。土間の片付けをしていた女中頭が、不愉快そうに眉をしかめたのにもお構いなしで、そのまま表側へと駆け抜けると。どんと手をついた上がり框にお膝から乗り上げんという勢いのまま、大きな声を張ったのが、これまたお行儀としてはいただけなかった所業だったものの、

  「旦那様っ、女将さんっ。勘兵衛様と久蔵様が、お見えになられましたっ!」

 途中から調子を外し、勢い余って裏返ってしまったそのお声へと、

   ………………。

 結構な構えのお座敷料亭は一瞬しんと静まり返り、それから…さわさわ・ざわざわと、屋敷のあちこちからそれぞれなりの騒がしさが高まってゆく。そんな有り様は外へも届いて。
「…。」
「ああ。いつ来ても面白い反応だの。」
 当の来客たちの口許へ何とも言えぬ苦笑を誘った。当初はさすがに、何だ何だと怪訝に感じ、よもや捕り方でも待ち構えているものかとの恐れまでもが脳裏に浮かび。店への迷惑がかかってはと案じたそのまま、身を翻そうかと思ったくらい。そんな杞憂を懐かしく思い出すのと競うよに、正面の大戸を入ってすぐの土間から二階へそびえる大階段の上と、同じ階段の脇の帳場の方とから、それぞれに品よく年を経て得た艶やかさを保ったままの、同じくらいだろう年頃の男女が進み出して来て、
「勘兵衛様、久蔵殿っ。」
「まあま、よくお越し下さいました。」
 円熟を迎えたいい年頃であることも忘れての声を張り、まろぶように駆け寄る様がまた、何とも大仰なことよと客人二人の苦笑をまたも誘うが、
「いつもながら、大袈裟なことよ。」
「何を仰せです。」
 飛び出して来た男の方が諌めるように言い返す。こういう歓楽街の中にありながら、蛍屋でのお座敷にて接待を受けるは最上級の栄誉よ出世よと言われる、料理も格式も特別格の店。ここまでの店構えを切り盛りするには、世間から言えばまだまだ若いクチの年代でありながら、どこの老獪な古ダヌキにも負けぬ度胸と度量を兼ね備えた、貫禄も頼もしい主人夫婦が、なのにこうまで感情もあらわに迎える大切なお人たち。
「早亀か電信でお知らせ下さればよろしいものを、いつもいつも唐突なお越し。」
 それこそ準備万端整えて、てぐすね引いてお待ちするものを、どうしてこのような意地悪をなさるものかと。明るい金の髪を引っつめにして三本のまげに結い上げた若い主人が、笑いながらのそれとは言え、恨み言を並べれば、
「これ、カンナ。」
 お客様に何ですかと、それだけではない案じも秘やかに含めて。あでやかな美貌の奥方が手を伸べて、お若い美丈夫から小さな娘を引き取ろうとするのだが、
「やーの。」
 いやいやとかぶりを振って、小さな娘御は若者の懐ろから剥がれそうになく。むしろますますのこと、その身をぎゅぎゅうと揉み込む始末。女将が何を案じているのか、そちらも重々判っている彼であるのか、
「…。」
 娘を真似てかぶりを振る青年に代わり、
「大事ないのだ、内儀殿。」
 連れの男が擽ったげに笑って見せる。
「このごろでは腕を吊ってもおらぬしの。」
 この子くらいの幼女一人であれば、落としはしないから安心なされよと。遠回しにご案じなさるなとのお言葉を下さる。それは痛々しいお姿であった彼のこの復調は、そのまま、あのとんでもなかった戦さが、本当にもう記憶の中の遺物になりかけているのだなという、実感にもつながるようで、
「早いものですなぁ。」
 しみじみと呟いた七郎次へ、感慨深げな眼差しを向けた勘兵衛様であったりするのだ。





            ◇



 昔むかしの大昔から。それはきれいな湧き水と、清流がもたらす地味豊かで肥沃な土地の恵みを活かし。寒暖差の大きい、苛酷な気候にもへこたれず。村中総出で骨身を惜しまぬ丁寧なお米作りにだけ励んで来た、小さな小さな神無村。にぎやかな町から遠かった辺境地だったことも手伝ってか、さして飛び抜けた欲をかく者もおらず、みんな一緒にささやかなことへと喜んだり困ったり、それは穏やかに暮らしておったはずの彼らであり。大陸を、世界を、大きく2つに分かちての、そりゃあ大きな戦さが始まっても、そんなのどこの世界のお話かと、以前とさして変わらぬ日々をば送っておったものが。その大きな戦さが終わって後の、時代の変遷が来やるのと同時、今度ばかりはこんな小さな村へも例外は許さぬということか、それは苛酷な、されど謂れのない奇禍が彼らの上へも襲い掛かってきた。領主のある土地はそれなりの武装もあってか狙われないが、領主のいない小さな村に限っては、侍崩れの“野伏せり”どもが、群れなして襲撃を仕掛けて来るようになり。有無をも言わせず、収穫のほとんどと見目のいい娘らを攫ってゆく。田畑を耕すことしか知らない農民には、山のような大きさの機巧の体と、戦さ場を生き抜いた武装を持つ野伏せりへの抵抗なぞ 高が知れており、どんな無体をされようと、泣き寝入りするしかなかったのだが。ある年、とうとう堪忍袋の緒が切れて、何とかして一矢報いたいという気運が高まって。そこでと持ち出された妙案が、


   ――― 強いお侍様を雇って、野伏せりを退治してもらおう。


 報酬は腹一杯の飯。それでも請け負ってくださるような、人品卑しからずな、されど腹を空かせた侍たちを探し出そう。小さな村から発し、誰からも荒唐無稽だと嘲笑されたそんな思いつきは、だが。大戦後の世界を、小賢しい頭脳と要領を武器に、独善という傾向にて席巻しかけていた“商人中心”の新体制を突き崩すほどもの、結構大きな騒動にまで発展し。そうしてそして、策謀と銭まみれだった仕組みが崩壊した現在は、所謂“仕切り直し”の混沌とした時代へ逆戻りしているような案配だけれど。先の、最後の天主(あまぬし)が、若いに似合わぬ清廉な賢者であり。神無村を見習おうよと提唱した彼の遺した体制が、暴力で荒らされてばかりだった辺境の農村を助け、自治の芽を植えてそのまま、農民とお侍と商人とのなかなかに健全な互助世界とやら、健やかに育まれつつある今日この頃。

  「…知らぬが仏とはよく言いましたよね。」

 本当の真実を明かせば、道義的にあんまり褒められたクチではない、山ほどの謀略をひた隠し、そんな暗部を知るところの者は片っ端から抹殺して…という。どうしようもないほどの穢れでいっぱいだった、新天主や大商人たちの築いた何やかや。そんな歪みを指して“正義”とか“ご政道”だなんて無理を言ったりしたそれで、きっと矛盾崩壊が起きたんでましょと。真相を知る者らにしてみれば、悼むなんて片腹痛いとするよなその末路であったものだから。せいぜい立派に語ってはやるけれど、二の轍を踏んでおっかないお侍に成敗されるのはごめんですとばかり。そのままの体制を引き継ぐ者は依然として出ぬままに、早くも数年が経っており、
「自治防衛の体制が広まっているとはいっても、辺境の方では相変わらず。野伏せり崩れの野盗が幅を利かせているところも少なくはないそうですね。」
 此処のように、自力で地位を確立した差配が置いた警邏組織や何や、人々の互助関係が確固たるものとして存続していたところは、それがそのまま機能しており、風紀の平安も何とか保たれているけれど。都から派遣されし差配が蓄積もない身で大上段から仕切っていた土地では、なかなか同じようにとまでは運ばないらしく、
「それらの賊と陰で手を組んでいるような、豪族領主や分限者もいるというから呆れたものですな。」
「いかにも。」
 そうまで悪いところだけが依然として居残るは、どうしようもない人の性
(さが)だからということなのか。そんな輩をぐうの音も出ぬほどの徹底したお仕置きにて、完膚無きまで叩き伏せることを生業にしているのが、かつての神無村にて、最初の野伏せり退治を敢行した雇われ侍たちの首魁殿、島田勘兵衛様とそのお連れ。相変わらずの細腰痩躯に、これまた相変わらずの寡黙さをたたえし金髪紅衣の青年が、隣り座敷で幼い娘御の手遊びに付き合ってくれているのを眺めやり、

  「久蔵殿の右腕、もうすっかりと元通りなご様子ですな。」
  「ああ。双刀も前の通りに振るうておる。」

 ちりめん作りのお手玉を、幾つも連続してひょいひょいと、右の片手だけにて宙へ放り上げている手際もそれは鮮やかで。場合によっては切断して義手を…とまで危ぶまれたほどに、それは手ひどい有り様だったのが嘘のような回復振り。いくら若い身だとはいえ、さすがにごく普通の骨折やら負傷やらと同じような、すこぶる早い回復は辿れなかったが、辛抱強く治療に徹し、丹念なリハビリを積み、それでの数年掛かりでの復調であり、
「カンナ殿がもう三つであろう。」
 あの大雑把な奴輩にしては慎重が過ぎるほど、あれでも懇切丁寧に治療に専念しておったからのと。いくら悪口でもそうまで優しいお顔で口にしては、惚気にしか聞こえないような言い草をこぼす 元・上官殿へ、七郎次が“はいはい”といなすような苦笑を返しながら、それでも…これは紛うことなき事実として。
「お逢いするごとに、穏やかそうなお顔になられますな。」
 こちらから望める端正なその横顔につい見とれつつ、そのまま讃えて差し上げる。玲瓏なその顔容にほのかに差した、天女もかくやというような嫋やかな笑みが、何とも品があって美しく。とはいえ、
「刀を握らせれば変わらんぞ。」
 落差があまりに大きゅうて、先々での加勢の方々をいちいち面食らわせておると。くつくつ笑う勘兵衛の言いように、七郎次もあっさり予想はつくらしく、さもありなんと笑って返したが、
「あら。久蔵様はいつもあのままの、優雅でお綺麗なご様子でおいでだったではありませぬか。」
 物静かで麗しの君。その他に一体どんなお顔があるというのですと、奇妙(けぶ)なことを仰せだとばかりに、雪乃が小首を傾げて見せる。それへと若い夫が苦笑もそのまま言い返したは、
「おや、お前は覚えていないのかい? そもそも久蔵殿は、綾摩呂の放った侍狩りの手先として、此処に乗り込んで来たのが最初のお越しだ。」
「え?」
 彼女だとて、久蔵の素性の一通りは知ってもいたらしかったけれど、
「…あの時の捕り方の中においでだったのですか?」
 雪乃ほどものしっかり者のお内儀でも、拾い損ねていたものがまだあったほどに、それはそれは目まぐるしいまでの色々が、一気に立ち騒いだ秋だったから。



  ――― ああ本当に、色々なことがありましたね。
       そんな日々を回顧して、
       こんな風にのんびりと過ごせる日が来ようだなんて。
       毎日刻々、ばたばたしていたあの頃は、
       見通しなんてないままに、
       生と死の境目の瀬を渡ってたあの頃は、
       思いもよらずにおりましたよね………。

 
TOPNEXT→

ご感想はこちらvv